時代を背景とした「何を選ぶか?」という文脈に関する考察
ところで、全ての現象に関わる、非対称性的なボトルネックの原因はどこにあると思いますか?
それは、探索(Search)と選択(Selection)のコストが極端に非対称であることです。
AIは100万個のアイデアを出せます。
しかし、その100万個の中から、本当に価値のあるものを1つ見つけるコストは、
ほとんど下がっていません。つまり、、
・生成は安いが
・評価は高い
という非対称性があります。
「情報は指数関数的に増えるが、注意は増えない」
世界の究極的なボトルネックはエントロピーではなく、自由エネルギーでもなく、「有限時間」ではないかと思っています。
人間には一日24時間しかありません。
・読める本
・見られる動画
・会える人
・仕事
・思考
全てに上限があります。
AIがどれだけ供給を増やしても、受容側の時間は増えません。なので、
AI時代の最も希少な資源はGPUでもデータでもなく、「人間の認知時間」になると思っています。
これがあらゆる市場でボトルネックになります。
ですから、「全ての現象に関わる非対称性的なボトルネック」を次の二層構造で考えます。
- 探索は安いが、評価は高い。
- 供給は無限に増やせても、人間の注意と時間は有限である。
この2つはAIだけでなく、科学、経済、進化、文化など、非常に多くの現象に共通する非対称性です。
逆に言えば、AIがどれだけ進歩しても、この2つの制約を完全に取り除くことは難しいでしょう。
そして、その制約が残る限り、価値の中心は「大量に作ること」ではなく、「何を選ぶか」「どの現実に接続するか」に移っていく可能性が高いと考えています。
余談ですが、こういう乗り物のポジショニングが独創的で好きです。
<特徴>
悪路を走れる
移動と運搬に特化
スピードは遅い
極めて個性的
終末世界に対応。ある意味未来的デザイン
もちろん飛べない。ゆっくり上方に登る
必要最低限
なんとなく、AIや未来の方向として、何を選択していくかという視点が以外に斬新な方向に行くような気がしている。